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大阪地方裁判所 平成4年(人)4号 判決

請求者

甲野太郎

右代理人弁護士

笠松健一

被拘束者

甲野花子

被拘束者

甲野一郎

被拘束者

甲野二郎

右被拘束者ら代理人弁護士

久米川良子

拘束者

乙山雪子

右代理人弁護士

小西正人

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者らを拘束者に引き渡す。

三  本件手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者らを釈放し、請求者に引き渡す。

2  本件手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  当事者

請求者と拘束者とは、昭和六〇年六月二二日に婚姻の届出をなしたものであり、被拘束者甲野花子(昭和六一年二月三日生、以下「被拘束者花子」という。)、同甲野一郎(平成二年一月二六日生、以下「被拘束者一郎」という。)及び同甲野二郎(平成三年一〇月五日生、以下「被拘束者二郎」という。)は、いずれも請求者と拘束者との間の子である。

請求者と拘束者は、平成四年四月一日まで大阪府池田市〈番地 略〉にて同居し、被拘束者らを共同で監護養育してきたが、平成四年三月三〇日に協議離婚の届出をなした。

2  協議離婚に至る事情

(一) 拘束者は、大阪A病院内科に勤務する医師であった請求者が、その職務上深夜まで勤務せざるを得ないことに対し、全く理解を示そうとしなかった。

(二) 拘束者は、性格的にもヒステリックなところがあり、ピアノを習っていた被拘束者花子がその練習中に少しでも間違うと、その間違いを厳しく指摘することがあり、そのため被拘束者花子は泣きだすことがあるくらいであった。すると拘束者は被拘束者花子に対し、ヒステリックに「いやならピアノなんかやめなさい」と叱り、ますます被拘束者花子を泣かせる状態であった。

(三) 拘束者には浪費癖があり、婚姻中の七年間に金一〇〇〇万円以上の金員を浪費した。請求者は拘束者に対し、その使途について何度も尋ねたが、拘束者は、金一〇〇〇万円を浪費したことのみは認めたが、その使途については明らかにしなかった。

(四) 拘束者は、請求者との婚姻当初から、請求者と拘束者との意見が食い違ったような場合には、折り合いをつけようとせず、話し合いを拒否して、ガスレンジのガス栓を開け放してガスを放出させたり、自宅マンションの四階から飛び降りるふりをするなどした。

(五) これらの事情から、請求者としては、拘束者との生活を続けていくことは困難であると判断せざるを得なかった。

3  協議離婚の届出及び親権者の決定

(一) 請求者は、平成四年二月中旬ころから拘束者との間で離婚についての話し合いをおこない、同年三月二〇日ころには拘束者も離婚を了承した。その後、請求者と拘束者とは、被拘束者らの親権者について約一週間話し合った結果、同年三月三〇日の未明、被拘束者らの親権者を請求者とすることで話し合いがまとまった。

(二) 請求者と拘束者とは、同年三月三〇日、一緒に池田市役所へ行き、離婚届を提出した。右市役所の担当者は、被拘束者らの親権者が請求者であることを拘束者に確認し、拘束者がそれに間違いない旨返答したので、離婚届を受理した。

拘束者は、この時同時にその氏を旧姓に変更し、大阪府箕面市内の実家へ転出する旨の届出もなした。

4  拘束者による違法な拘束

拘束者は、平成四年四月一日、請求者の両親に対し、前記自宅マンションの知人宅へ被拘束者らを連れて引っ越しの挨拶に行くと言って、被拘束者らを連れて外出し、そのまま行方不明となった。その後請求者は、拘束者の置き手紙を発見し、拘束者が被拘束者らを連れて行方をくらましたことを知った。

5  被拘束者らの保護環境

(一) 請求者は、大阪A病院に勤務する医師であり、月収が手取りで約六〇ないし七〇万円、賞与が年間約二〇〇万円あるので、請求者が被拘束者らを養育するにつき経済的な問題は全くない。

請求者は、拘束者との離婚後は請求者の実家に被拘束者らを連れて戻り、請求者の両親甲野太、甲野夏子と同居し、鳥取B病院に勤務することとしていた。被拘束者らの現実の養育、監護は右請求者の両親が行うこととなるが、被拘束者らは右両名によくなついており、被拘束者らの養育、監護の点で請求者の側には何ら問題がない。

被拘束者らには、拘束者が与えていた偏った食事のために、いずれもアトピーの症状が見られるが、この点、請求者は医師であってアトピーの専門医との交流もあることから、被拘束者らの体質改善について専門家の助言を容易に受けうる体制にある。また、被拘束者一郎は、平成四年一月二一日縦隔腫瘍について手術を受け、今後数年間にわたって経過観察を要するが、これには医師である請求者が適任である。

(二) これに対し、拘束者には、前述のように浪費癖があり、請求者の月収六〇万円以上の収入によっても生活を賄うのがやっとの状態であった。現在拘束者は職を有しておらず、今後も拘束者の浪費癖を賄うに足りるだけの高額な収入を得ることができる職に就ける見込みはない。また、拘束者の父親は、既に退職して年金生活を送っている上、平成四年一月に脳梗塞で倒れて入院し、現在自宅で療養中であり、リュウマチの持病を持つ拘束者の母親がその面倒を見ている状態である。したがって、拘束者の両親には拘束者を経済的に援助する余裕はないし、被拘束者らの養育につき助力する余裕もない。

拘束者は、前述のようにヒステリックな性格の持ち主であり、被拘束者らの養育においても、被拘束者らにつらく当たることが多く、被拘束者らの人格形成に悪影響を及ぼすおそれが強い。更に、被拘束者らには、前述のようにいずれもアトピーの症状が見られ、被拘束者一郎は高脂血症でもあるが、これらは拘束者が与え続けた偏った食事が原因であり、拘束者自身も食物の好き嫌いがあるので、拘束者によって食事の偏りが是正される可能性はない。

6  以上の次第であるから、拘束者が請求者の親権行使を排除し、被拘束者らを勝手に連れだして行方不明となったことは、明らかに違法な拘束に該当するものであり、請求者と拘束者との保護環境を比較した場合、請求者側の保護環境がより優れていることもまた明らかである。

よって、人身保護法二条、同規則四条に基づき、被拘束者らを釈放し、請求者に引き渡すよう求める。

二  請求の理由に対する認否

1  請求の理由1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

3  同3のうち、(一)の事実は否認する。

(二)の事実は、請求者と拘束者が平成四年三月三〇日に池田市役所へ行ったこと及びその際拘束者が氏を変更し、転出の届出をなしたことは認め、その余は否認する。

4  同4の事実は認める。

5  同5のうち、(一)の事実は、請求者が医師であること、請求者の収入、被拘束者らにはいずれもアトピーの症状が見られること及び被拘束者一郎が平成四年一月二一日縦隔腫瘍について手術を受け、今後数年間の経過観察が必要であることは認め、その余は不知または否認する。

(二)の事実は、拘束者の父親が年金生活を送っていること及び同人が平成四年一月に脳梗塞で倒れ入院したことは認め、その余は否認する。

三  拘束者の主張

1  協議離婚の届出に至る経緯

請求者は拘束者に対し、平成四年三月二二日、一方的に離婚を通告し、その後、請求者及びその両親は、拘束者に満足な睡眠もとらせずに長時間にわたり拘束者を精神的に追い詰め、ときには暴力を振るい脅迫をして、拘束者が十分な判断能力を欠いた状態で離婚届に署名捺印させた。しかしながら、拘束者が離婚届に署名捺印した時点では右離婚届の親権者欄は空白であり、拘束者は、請求者との間で、被拘束者らの親権者を請求者とする旨を定めたことはない。また、離婚届を提出した際にも、拘束者は、請求者とその父親から一緒に来るよう命ぜられて同行したが、窓口へは行かずに待合のベンチに腰を掛けて待っていた。

請求者と拘束者との離婚は、請求者の両親特に父親甲野太が、拘束者らの婚姻生活に不当に介入し、暴行や脅迫により拘束者を精神的に追い詰めた結果なされたものである。

2  家事審判の申立て

拘束者は、平成四年四月九日付けで鳥取家庭裁判所に対し、被拘束者らについての親権者変更等の調停を申立てた(同庁平成四年(家イ)第四六ないし第四九号)。但し、右申立ては、同庁家庭裁判所調査官による調査の結果請求者が鳥取市〈番地略〉に居住していないことが判明したため、その取り下げを勧告され、拘束者は同月二二日右申立てを取り下げた。拘束者は、同月三〇日、改めて大阪家庭裁判所に対し同様の親権者変更の審判の申立てを行い(同庁平成四年(家イ)第一五〇三ないし第一五〇六号)、右申立事件は現在も同庁に係属中である。

3  被拘束者らの保護環境

(一) 拘束者は、現在その両親の所有する一戸建住宅において、右両親からの助力を得ながら被拘束者を養育している。拘束者の父の病気についても、現在では一人で外出できる程度に回復しており、拘束者の母も普通の健康状態である。拘束者は、当分の間被拘束者らの養育に専念しなければならないが、その両親の収入、資産から見て被拘束者らの養育費に困ることはなく、拘束者自身も大阪大学においてドイツ文学を修めたものであって、その語学力を生かし、家庭にいながら収入を得ることも可能である。

(二) 拘束者は、被拘束者花子を大阪府箕面市立○○小学校に就学させている。被拘束者らのアトピーや被拘束者一郎の高脂血症については、遺伝的素因による面が多く、拘束者は、専門医の指示に従い注意して食事を与えている。また、被拘束者一郎は、大阪市にある大阪A病院の外科医により手術を受けたのであるから、その経過観察についても同医師によることが望ましく、被拘束者らと接する機会のない請求者が理想論を述べてみても被拘束者らに益するところはない。

(三) 被拘束者らのような乳幼児にとっては、常に家庭を留守にする請求者や祖父母である請求者の両親に養育されるよりも、実母である拘束者に養育されることが望ましい。

第三  疎明関係〈省略〉

理由

一〈書証番号略〉、証人甲野夏子及び同乙山秋子の各証言、請求者及び拘束者の審尋及び本人尋問の各結果並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実を一応認めることができ、右認定を覆すに足りる疎明はない。

1  請求者と拘束者は、昭和六〇年六月二二日に婚姻の届出をなしたもので、被拘束者花子(昭和六一年二月三日生)、同一郎(平成二年一月二六日生)及び同二郎(平成三年一〇月五日生)は、いずれも請求者と拘束者との間の嫡出子である。請求者と拘束者は、その結婚後平成四年四月一日までの間、大阪府池田市〈番地略〉(以下「請求者宅」という。)にて同居し、この間に出生した被拘束者らを共同で監護養育してきた(以上の事実は当事者間に争いがない)。

請求者は、現在三六歳で、昭和六一年から平成四年四月末日まで大阪A病院に勤務していた内科の医師であるが、その職務上帰宅時間は午後一一時過ぎになることが通常であった。一方拘束者は、現在三三歳で、請求者との結婚後は家事育児に専念していたものであり、被拘束者らの監護は主として拘束者が行ってきた。

2  被拘束者一郎は、平成三年一二月一七日、肺炎等のため大阪A病院に入院したが、同日、請求者からその旨の連絡を受けた請求者の両親が鳥取から同病院に駆けつけた。このとき拘束者は、被拘束者一郎の看病を請求者に任せ、被拘束者二郎らの世話のため一旦右病院から請求者宅に戻っていたのであるが、同日深夜、請求者宅へ来た請求者の両親は、仕事で疲れている請求者に被拘束者一郎の看病をさせていたと言って拘束者を非難した。これに対し、その場に居合わせた拘束者の母が、夫婦で決めたことに親が口出しをすべきでない等と言って反論したことから、請求者、拘束者双方の両親の間で口論となった。

拘束者は、従来から、請求者の両親が請求者と拘束者らの家庭の問題に介入しすぎであると考えていたが、右の件について一層憤りを覚え、同月一九日に被拘束者二郎も同病院に入院することとなった際、請求者に対し、被拘束者一郎らの看病について請求者の両親には助力してほしくないと告げ、これに反発した請求者との間で口論となった。また、請求者と拘束者は、被拘束者一郎らが一旦退院することとなった同月二八日ころにも、同様のことで口論をした。その結果、被拘束者一郎が翌平成四年一月に再度入院して手術を受け、退院するまでの間、被拘束者一郎及び同二郎の監護は、拘束者がその実家において拘束者の両親の助力を得ながらこれを行い、被拘束者花子については、請求者の両親にその監護を委ねることとなった。請求者の両親は平成三年一二月二五日ころ被拘束者花子を連れて鳥取へ帰り、請求者も同月三〇日、単身鳥取へ帰省した。

請求者は、拘束者に対し、その性格、金銭感覚、被拘束者らに対する健康管理及び請求者の両親に対する応対等について、従前から不満に思ってきたが、同月二八日ころ、これ以上拘束者との共同生活を続けていくことはできないと考え、拘束者と離婚することを決意し、同月三〇日単身鳥取へ帰省した際、請求者の両親に対し、拘束者との離婚を決意した旨を伝えた。

3  請求者の両親は、平成四年一月七日、被拘束者花子を連れて再び請求者宅へ行き、それ以来請求者宅で被拘束者花子を監護し、一方被拘束者一郎及び同二郎は、平成三年一二月二八日に大阪A病院を退院して以降、拘束者の実家において拘束者及びその両親により監護されていた。ところが、拘束者の実家では、平成四年一月一〇日、拘束者の父が脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの当分の間入院加療が必要となり、このため拘束者の母がその付添いをしなければならなくなったことから、同月一六日に被拘束者一郎が手術のため再入院して以降の右拘束者らの監護に支障をきたすことになった。そこで、拘束者は、同月一〇日請求者に対し、翌一一日には請求者の両親に対し、それぞれ事情を説明して右被拘束者らの監護について助力を請うた。これに対し請求者及び請求者の両親は、平成三年一二月一七日の諍いのことを問題とし、その後拘束者らの意地で拘束者らが被拘束者一郎らの世話をするものと決めたのだから、最後まで意地を張り通すべきである旨を述べて、被拘束者一郎らの監護について助力することを拒否した。

被拘束者一郎は、平成四年一月一六日、手術のため再度大阪A病院に入院し、同月二一日縦隔腫瘍についての手術を受け(当事者間に争いがない)、同年二月五日に退院したが、拘束者は、この間、被拘束者二郎を拘束者の母に預け、自らは同病院において被拘束者一郎の看病にあたり、被拘束者一郎が退院した同年二月五日に、被拘束者一郎及び同二郎を連れて請求者宅に戻った。請求者の両親は、被拘束者一郎の退院後も請求者宅に留まった。

4  請求者と拘束者とは、同年二月九日午後九時ころから、同月一六日に予定されていた拘束者の実弟乙山一平の結婚式に請求者が出席できるかどうかについての話をきっかけとして口論となった。その後この話に加わった請求者の両親は、拘束者に対し、平成三年一二月一七日の諍いの際の拘束者の両親の言動を許すわけにはいかない旨を述べ、「おまえの親が言った言葉を思い出して言ってみろ。」等と激しく詰問した。請求者及びその両親は、拘束者に対し、翌一〇日午前三時ころまで右のような詰問を繰り返した後、拘束者の両親が言った言葉を思い出せないのなら実家に電話をして聞くように命じ、拘束者は、同日午前三時半ころやむなくその実家に電話をかけた、その後、たまたま拘束者の実家に泊まっていた拘束者の実弟乙山一平が、右電話の様子に不審を覚えて同日午前四時ころ請求者宅に駆けつけ、請求者との面談を求めたが、請求者及びその両親は、右実弟が深夜に来訪したことをなじり、同人を早々に帰宅させるとともに、拘束者に対し、請求者の意に反して右実弟を請求者宅に入れたことを厳しく非難し、実弟の結婚式に出席しないことはもとより乙山家とは以後絶縁する旨を申し渡した。

その後、請求者の父は、拘束者から、請求者と拘束者の家計の銀行預金通帳類の全てと領収書等を手渡させ、以後これらを執拗に点検しては拘束者に対し銀行預金の引出しの項目について逐一説明を求め、また、それ以降の買い物等の生活費については必要に応じて拘束者に渡すこととし、事後そのレシートを提出するよう拘束者に命じた。

5(一)  請求者は拘束者に対し、同年三月二一日深夜、請求者の収入からすれば結婚後の六年余りの間に少なく見積もっても一〇〇〇万円以上の貯金ができているはずである等と主張し、右一〇〇〇万円について請求者に損失を与えた旨の念書に書くように要求した。拘束者は、右のような損失を与えたとの心当たりはなかったが、夫婦の間でそのような念書を書くよう要求する請求者が駄々をこねる子供のように思え、翌二二日午前〇時過ぎ、請求者に一〇〇〇万円の損失を与えたことを認める旨の念書(疎甲第八号証)を請求者が口授するままに書き、これに署名指印した。

(二)  右夫婦のやりとりの際には請求者の両親も同席していたが、拘束者が右念書を書いた後、請求者の父は、拘束者に対し、同人の家事のやり方や子どものしつけ方がなっていない旨を事細かに指摘した上、拘束者は甲野家の嫁として失格であるから、この際離婚を考えてくれと申し渡し、請求者も、既に離婚を決意した旨を拘束者に告げた。拘束者は、請求者らから同年二月一〇日に乙山家との縁を切れと言われて以降、しばらくの間自分が耐えることで夫婦の間に生じた溝も埋めることができるだろうと思い、実家との連絡を絶ち、請求者との家庭を立て直そうと考えていたので、突然請求者らから離婚を告げられたことに当惑したが、幼少の被拘束者らのために両親の離婚という最悪の事態だけは避けなければと考え、請求者らに対し、自分の実家とは交流を絶ち甲野家の人間になりきる決心をしていることを伝え、被拘束者らのために離婚について再考してくれるよう懇願した。しかし、請求者らは、一度壊れてしまった器は元に戻らない、離婚のことは請求者らの決定であって相談ではない等と述べ、拘束者に対し離婚に同意するよう要求した。

請求者らによる右のような説得は、翌二二日朝、被拘束者らが起きる時間になって一時中断したが、同日午後一一時ころから再開され、翌二三日未明まで同様の会話が続いた。その中で、請求者の父は、午前一時までに結論を出すように等と時間を区切って拘束者が離婚に同意するよう迫る一方、なおも再考を求める拘束者に対し、自分で決められないのであれば第三者に入ってもらわねばならないが、そうなれば拘束者が請求者に与えた一〇〇〇万円の損失のことがあからさまになるだけである旨を告げて、前記疎甲第八号証の念書のことを持ち出した。

同月二三日夜は請求者が勤務のため帰宅せず、離婚についての話は中断したが、この間拘束者は、離婚についてその実家に相談したりすれば夫婦仲を元に戻すことができなくなってしまうと考え、請求者との家庭を立て直すためにはこの問題を自分一人で処理するしかないと考えた。

その後、請求者が同月二五日午前三時ころ帰宅し、請求者及びその両親と拘束者との間で再び離婚についての話がなされたが、請求者は、拘束者との離婚後は請求者の実家のある鳥取の病院に勤務することとし、現在の勤務先には既に退職の意思を伝えた旨を拘束者に告げ、また、被拘束者花子の小学校入学が近いのに子供を巻き添えにする気か等と言って拘束者を非難し、拘束者に対し請求者との離婚に同意するよう強く迫った。拘束者は、同月二二日に請求者らから離婚を言い渡されて以降、日中は家事と被拘束者らの世話に追われ、僅かな休息の時間にも満足に睡眠をとれずに疲労し、また、一方的に離婚を迫る請求者らの言動に絶望して、同月二五日早朝、離婚届に署名することに同意した。請求者は、直ちに予め用意していた離婚届用紙を示し、市役所への提出用の外に控えにすると称して計二通の用紙に記入するよう求め、拘束者はこれらに署名捺印した。このときには、離婚届用紙のうち未成年の子の親権者欄は空白のままであった。

(三)  請求者とその両親は拘束者に対し、同月二九日午後一一時ころから、今度は、被拘束者らの親権者について、これを請求者とすることに同意するよう求めた。請求者らは、拘束者と請求者との経済力の優劣、拘束者の父が脳梗塞で倒れたこと、拘束者の性格上の欠点等を指摘して、被拘束者らを養育できるのが請求者と拘束者のいずれであるかは明白であると主張し、被拘束者花子の小学校入学が近いのにこれ以上問題を長引かせて子供を巻き添えにする気か等と言って、被拘束者らの養育について拘束者が身を引くように強く迫った。これに対し拘束者は、被拘束者らを手放すことは絶対できない旨繰り返し主張し、請求者らによる拘束者の説得は翌三〇日の朝まで続けられた。

6  請求者は、同月三〇日の朝、前記離婚届用紙のうち未記入のままであった未成年の子の親権者欄に、被拘束者らの親権者をいずれも請求者とする旨を記入し、請求者の両親が右用紙の証人欄に各々署名捺印をした。その後、請求者及び請求者の父は、右同日午前、拘束者に対し離婚届の提出に同行するよう求め、これに応じた拘束者とともに池田市役所に行った。池田市役所においては、請求者が離婚届を提出し、拘束者は、その氏を旧姓に変更する旨の届出及び大阪府箕面市に転出する旨の届出をなした(請求者と拘束者が平成四年三月三〇日に池田市役所へ行ったこと及びその際拘束者が氏を変更し、転出の届出をなしたことは、当事者間に争いがない)。

請求者は、翌三一日、池田市役所において、請求者及び被拘束者三名につき鳥取市に転出する旨の届出をなした。

7  拘束者は、同年四月一日、請求者の両親に対し、請求者宅と同じマンションに居住している知人宅へ引っ越しの挨拶に行くと言って、被拘束者らを連れて外出し、そのまま請求者らとの連絡を絶った。拘束者は、その際、「いくら考えても子供達を手離すことなど私には到底できません。申し訳ありません。」と記載した置き手紙を請求者宅に残した(以上の事実は当事者間に争いがない)。

拘束者は、右同日、兵庫県加古川市に在住する実弟の乙山一平方に一時身を寄せた後、翌二日、請求者及び請求者の父が被拘束者らを奪い返しに来ることをおそれ、被拘束者らを連れて神戸市垂水区の親戚方へ行き、同月一一日に、被拘束者らとともに大阪府箕面市〈番地略〉所在の拘束者の実家に移った。

拘束者は、被拘束者らを連れて請求者宅を出た翌日である同月二日、拘束者代理人弁護士に相談に行って事情を説明し、同月八日、同代理人を通じて鳥取家庭裁判所に対し、協議離婚の際に親権者の指定についての合意がなされていないことを理由に、被拘束者らの親権者を拘束者に変更すること等を求める調停を申立てた。しかし右申立ては、同庁家庭裁判所調査官による調査の結果、請求者が鳥取市に居住していないことが判明したため、拘束者は、同月二二日右申立てを取り下げ、同月三〇日、改めて大阪家庭裁判所に対し同様の申立てをなした(同庁平成四年(家イ)第一五〇三ないし第一五〇六号)。右申立事件は現在も同庁に係属中である。

8(一)  拘束者は、現在、その両親の所有する大阪府箕面市〈番地略〉所在の一戸建ての家で、両親からの助力を得ながら被拘束者らを監護養育している。拘束者の両親はいずれも六三歳で現在無職であり、拘束者自身も無職であるが、拘束者の父の年金収入が月額約四〇万円あることから、当面の生計を維持する上で経済的な問題はない。また、拘束者の父の健康状態も、現在では、通常の生活に支障がないまでに回復している。拘束者は、被拘束者二郎が未だ生後九か月であることから、今後数年間は被拘束者らの養育に専念することとしているが、その後は、大阪大学文学部においてドイツ文学を学んだ能力を生かし、職業を持ちながら被拘束者らを養育していく意思を有している。

拘束者は、被拘束者らを連れて神戸市垂水区の親戚方に滞在した間、直ちに垂水区役所において被拘束者花子の小学校について仮入学の手続をとり、右花子を同区内の△△小学校に仮入学させ、現住所に移動した平成四年四月一一日以降は、右花子を大阪府箕面市立○○小学校へ転入学させた。被拘束者花子は、現在も右小学校に通学している。

被拘束者らにはいずれもアトピー性皮膚炎の症状が認めらた(当事者間に争いがない)が、現在ではいずれも特に問題とすべきような症状はない。被拘束者一郎は、平成四年一月二一日縦隔腫瘍について手術を受け、今後数年間の経過観察が必要であり(当事者間に争いがない)、また高脂血症でもあったが、現在では、高脂血症は認められず、右手術後の経過も順調である。被拘束者らの現在の健康状態については、その他特に問題とすべき点は認められない。

(二)  一方、請求者は、平成四年五月一日から、鳥取市にある請求者の実家方に居住し、鳥取B病院に勤務しており、月額一〇〇万円程度の収入を得ている。

被拘束者らの監護については、請求者の勤務の都合上、請求者の母(五七歳)及び父(六〇歳)が主にこれを行うこととしているが、請求者自身も、大阪A病院に勤務していた当時よりは早く帰宅できる日が多くなった。

請求者は、本件協議離婚の届出後直ちに、被拘束者らについて鳥取市への転入手続をとり、被拘束者花子は鳥取市立××小学校に在籍している。同年四月七日の同小学校の入学式には、請求者の父が請求者の代わりに出席し、被拘束者花子の学用品等を買い揃え、また、請求者の母は、被拘束者らのために手作りの服を用意するなどして、いつでも被拘束者らを受け入れる態勢を整えている。

二右認定事実に基づき、本件請求の当否について判断する。

1  まず、本件における拘束の有無につき判断するに、被拘束者らは、その年齢が六歳五月、二歳六月及び九月の乳幼児であって、いずれも意思能力を有しないものというべきであるから、拘束者が被拘束者らを監護する行為は、人身保護法及び同規則にいう拘束にあたるものと認めることができる。

2  次に、右拘束の違法性が顕著であるかどうかについて判断する。

(一)  まず、本件協議離婚の届出に先立ち、請求者と拘束者との間で、被拘束者らの親権者を請求者とする旨の合意がなされたか否かについて検討するに、本件離婚届には被拘束者らの親権者を請求者とする旨記載されていること、拘束者が平成四年三月二五日離婚届に署名捺印した際には右離婚届用紙の親権者欄は空白のままであったが、その後同月二九日深夜から両者の間で被拘束者らの親権者について話し合いがなされたこと、右話し合いにおいては被拘束者らの養育を夫婦のいずれが行うかが問題とされていたこと、同月三〇日に本件協議離婚の届出がなされた際拘束者も請求者らに同行していたこと、拘束者は、遅くとも離婚届に署名捺印した際には離婚届用紙に未成年の子の親権者を記載する欄が存することを知ったはずであり、協議離婚の届出をするには被拘束者らの親権者を夫婦の一方に指定しなければならないことを認識していたものと推認できることからすれば、拘束者は、本件協議離婚の届出に先立ち、被拘束者らの親権者を請求者とすることに同意したものと一応認めることができる。拘束者の審尋及び本人尋問の各結果並びに〈書証番号略〉のうち、右認定に反する供述部分等は、前記認定経過に照らし措信することができない。

(二)  しかしながら、拘束者が右同意をするにいたった過程を見るならば、請求者は、拘束者に対し、平成四年三月二二日未明に初めて離婚の意思を伝えて以降、既に勤務先病院に対し退職の意思を伝えたことや被拘束者花子の小学校入学を間近に控えていること等を理由に、拘束者に時間的余裕を与えることなく、直ちに離婚に同意するよう迫り、連日のように深夜から翌朝まで説得を続け、また、右説得には請求者の両親も加勢し、とりわけ請求者の父においては、疎甲第八号証の念書をもとに脅迫的ともいうべき言辞を述べたこと等の事情を指摘することができ、その他本件協議離婚の届出にいたるまでの前記認定の一連の経過に照らせば、本件協議離婚の際の親権者の指定は、請求者らによる連夜の説得により精神的にも肉体的にも疲労困憊した拘束者が、正常な判断をなし難い状態の下で、その本意に反し、請求者らの主張に押し切られる形でこれに同意を与えたものというべきであって、このような本件における親権者指定の経過は、協議離婚の際の親権者の指定として瑕疵があるとまでは言えないとしても、著しく不穏当なものというべきである。

(三)  また、拘束者は、大阪家庭裁判所に対し、被拘束者らの親権者を拘束者に変更すること等を求める調停を申立てており、(同庁平成四年(家イ)第一五〇三ないし第一五〇六号)、右申立事件は現在も同庁に係属中であるが、被拘束者らの親権者を定めた過程における前記認定の諸事情、更に、請求者及び拘束者双方の監護の当否についての後述する比較衡量の結果(人身保護請求事件を審理する当裁判所に供せられた限られた資料に基づく判断ではあるが)からすれば、現在係属中の親権者変更の調停ないしその後の審判手続において被拘束者らの親権者が拘束者に変更される可能性も、少なからずこれを認めることができる。

なお、本件請求は、離婚した男女の間で、親権を有する一方が他方に対し、その親権に服すべき幼児の引渡しを求めた事案であって、かかる事案において、親権を有しない者が自己を親権者とすることを求める調停ないし審判を申し立てていること自体は、一般には、必ずしもその拘束の違法性を減じる事情となるものではないけれども、本件においては、前記認定事実によれば、協議離婚の届出後本件拘束が開始されるまでの間、拘束者は、従前から行なってきた被拘束者らに対する監護を事実上継続していたものであって、請求者においてその親権に基づき単独で被拘束者らに対する監護を開始していたとの事実はなく、また、拘束者は、本件拘束を開始した直後に鳥取家庭裁判所に対し、協議離婚の際に親権者の指定についての合意がなされていないことを理由として、被拘束者らの親権者を拘束者に変更すること等を求める調停を申立てており(拘束者らが右申立てを取り下げ、後日改めて大阪家庭裁判所に対し同様の申立てをなしたこと及びその理由は前記認定のとおり)、これらの事実に前述した被拘束者らの親権者を定める過程における諸事情を総合して考慮するならば、現在係属中の親権者変更の調停は、協議離婚の際の親権者の指定について協議をやり直す場であると見るのが本件の実態に最も即しているというべきであり、かかる本件での特殊事情に照らせば、徒に幼児の監護状態を変更してその心身の平穏を害するような結果を招かないよう、親権者変更の調停が現在係属中であることをも本件拘束の違法性を判断する一資料として差し支えないと解される。

(四)  そこで、以上の認定事実及び判断に基づいて本件拘束の違法性について検討するに、本件請求は、前述したとおり、離婚した男女の間で、現在のところ親権を有する一方が監護権原を有しない他方に対し、その親権に服すべき幼児の引渡しを求めた事案であると一応いうことができるけれども、被拘束者らの親権者を定める過程における前記認定の諸事情、更には現在係属中の親権者変更の調停申立事件ないしその後の審判手続において被拘束者らの親権者が拘束者に変更される可能性を少なからず認めうるという本件の特殊事情を斟酌するならば、本件請求の当否を考えるにあたっては、本件請求が形式上親権を有する者からの請求であることに拘泥すべきではなく、家庭裁判所における審理決定を待つまでの間、不幸にも両親間の紛争に巻き込まれた幼児の心身の平穏をいかにして図るべきかを第一義的に考慮すべきであって、かかる本件事案の現時点での解決としては、請求者及び拘束者双方の監護の当否を比較衡量した上、家庭裁判所における審理決定を待つまでの間、当該幼児をどのような状況下におくことがその幸福に適するかを主眼として請求の当否を判断するのが相当である。しかして、先に認定した事実、殊に被拘束者等が六歳五月、二歳六月及び九月の乳幼児であること、拘束者が被拘束者らの実母であって、その誕生以来被拘束者らの養育をなしてきた者であり、かつ被拘束者らに対する愛情とその監護養育に対する十分な意欲を持っていること、拘束者がその実家において経済的にも現実の監護の面でも援助を受けており、今後も当分の間被拘束者らの育児に専念できる状況にあること、被拘束者らの現在の健康状態には特に問題とすべき点はなく、その生活が心身ともに安定した状態にあること、他方、請求者が医師としての勤務の都合上被拘束者らの監護をその両親に委ねざるを得ないこと、更に本件が、離婚後ある程度の期間親権者において監護養育していた幼児を拘束者において連れ帰り、これを拘束したという場合と事案を異にし、親権者である請求者において単独で被拘束者らを監護養育するという状況は未だ形成されていないことなどを総合するならば、請求者及びその両親が被拘束者らに対する愛情を持ち、被拘束者らを受け入れる態勢を整えていることを考慮したとしても、被拘束者らが実母のもとで安定した生活を送っている現在の状態を敢えて変更することは相当でなく、被拘束者らにとっては、当面拘束者のもとにおいて監護養育されることがその幸福に適するものというべきである。

なお、請求者は、拘束者について、浪費癖があること、ヒステリックな性格であること、本件拘束が開始されるまでの間被拘束者らに対し栄養面で偏った食事を与えてきたこと等を主張し、その監護方法を非難するけれども、拘束者のこれまでの監護方法が被拘束者らの幸福に適するものでないとすべき事情を認めるに足りる疎明資料はない。

したがって、本件拘束についてその違法性が顕著であるものとするに足りる疎明はない。

三結論

よって、本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、人身保護法一六条一項により被拘束者らを拘束者に引渡し、本件手続費用の負担につき同法一七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官亀岡幹雄 裁判官小池喜彦 裁判官筒井健夫)

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